調査は1区と2区を設定しました。1区の目的は西之丸と小普請所を画する石組溝を検出することです。この溝は19次調査2区で検出したもので、今回はその溝が東へどのように続くかを確認することを目的としました。2区は、1次調査Ⅱ区と21次調査区の間に位置し、石組溝がどのように配置されているのかを確認するのが目的です。『亀郭城秘図』では、2区付近で、御殿との境界がL字状に屈曲しています。また通用門の基礎が残存している点も予想され、検出を目指しました。
〔遺構・遺物〕1区では撹乱を検出しました。幕末から明治期にかけて掘削されたと考えられます。西之丸と小普請所を画する石組溝は検出されました。2区で検出した近世の遺構は、石組溝3条、素掘り溝3条、土坑2基、木杭2本です。また、土層観察により馬場土手の東に砂を敷き面を構築した状況を検出することができました。通用門の礎石は検出されませんでした。遺物は肥前の陶磁器の碗や皿が大半を占めます。それ以外では土師器の皿、焼塩壺、碁石、軒丸瓦等が出土しました。
〔まとめ〕1区では調査区南部に激しく撹乱を受けた様子が観察できました。石組溝は検出されませんでした。調査区の北側に西之丸の基盤層である岩盤が検出されました。
2区で検出した遺構や出土遺物の検討の結果、本調査区での土地利用の一端が明らかとなりました。溝を埋めた後に、新たに石組溝を構築した点が指摘できます。溝からは17世紀前半の遺物が出土しています。一方、石組溝からは17世紀後期~18世紀の遺物が出土しています。これより、当初の排水溝は溝であったが、その後この溝を埋め平坦部を造成し、石組溝を構築したと推測できます。溝は地山裾部を掘削しているのに対し、石組溝は地山の西に平坦面を形成しています。この平坦面をどのように利用したかについては、今後の検討が必要になります。さらに、今後の課題として、石組溝1と3の連結部の検出、石組溝3と北側の1次調査Ⅱ区で検出した石組溝との連結部の確認、西壁土層で確認された平坦面の広がりを確認する必要があります。
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