遺構は、土坑5基、溝1条、柱穴8基、性格不明遺構64基が検出されました。遺物は遺構内から、縄文土器(浅鉢)、弥生土器(壺)、土師器(甕、坏、皿)、須恵器(坏、壺、ハソウ)、陶磁器(碗、皿)、石製品(石鏃、砥石、黒曜石、サヌカイト)、鉄滓、獣骨が出土しました。その数量は、遺物収納箱(600×440×320㎜)26箱です。
遺構は、出土遺物から弥生時代、古墳時代、近世に大別できます。本調査では、弥生時代前期と古墳時代後期、中世、近世の遺構・遺物を確認した。検出した主な遺構には、弥生時代前期の土坑1基、古墳時代後期の土坑4基、溝1条、柱穴8基、近世の性格不明遺構30基を検出しました。注目する遺構は弥生時代の土坑、古墳時代の土坑と溝、近世の性格不明遺構です。
弥生時代前期の土坑は1 基を検出しました。SK104 の平面形態は楕円形で、出土遺物には完形品に近 壺形土器が1 点出土し、土壙墓の可能性が考えられます。
古墳時代後期の土坑4 基と溝1 条を検出し、土坑の平面形は方形と楕円形があります。土坑内からは土師器、須恵器片が出土しました。溝SD101の底面は平坦で埋土には砂が混じらなく、遺物は土師器、須恵器、サヌカイト、黒曜石が出土しました。土師器の出土状況は完形品が割れた状態のものが床面から出土し、北側上層では川原石が投棄された状態がみられました。
近世と思われる遺構は30基あり、建物周辺での土器や瓦を捨てるためのゴミ捨て場と考えられます。出土遺物には砥部や近畿地方、九州地方から運ばれた陶磁器が出土してました。
今回の調査成果は、弥生時代前期(約2,300 年前)の土坑が見つかったことで、持田から岩崎一帯
にある弥生時代前期の集落が調査地まで広がっていたことが確認できました。また、古墳時代後期(約
1,500 年前)では、土坑や区画する溝が見つかったことで、持田本村遺跡・持田町三丁目遺跡の古墳
時代集落の広がりについて、本調査地一帯が東端になることが推測されます。近世では、陶磁器や瓦を
多量に含むゴミ捨て場が見つかったことより、持田本村遺跡の調査と合わせて、調査地の北側周辺に
は、江戸時代に溝で囲われた屋敷が存在していたと考えられます。
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