調査では鎌倉時代の溝52条、土坑33基、井戸21基、柱穴880基以上、近・現代の土坑、柱穴を検出しました。
1次調査で確認された溝SD6が東西方向に直線に延び、東側の1区で南に折れ曲がることが判明し、SD6は全長が65mを超える区画溝であることが分かりました。また、集落を区画する溝が東西方向と南北方向に複数あることを確認しました。
井戸は21基を検出し、平面の形状は円形と方形とがあります。円形の井戸の構造は、上部には石組み、下部には木製の曲げ物を二段と一段に据えるものとがあります。また、曲げ物だけのもの、上部~下部まで石組みのものなど多種の構造形態があります。また、方形の井戸は、下部に四隅に杭を打ち、横木は臍穴で固定していたものがあります。
土坑は33基を検出しました。その内の5基は土坑墓です。SK309からは木棺と人骨が残り、土師器の坏と釘が出土し、さらには土師器の坏外面には墨書による文字が読みとれました。
〔まとめ〕 今回の調査では、中世の集落を区画する溝を確認し、区画内には井戸や墓があり、多数の土師器・須恵器・陶磁器などが出土したことで、調査地や周辺地域には、中世集落の存在が明らかになりました。加えて中世の集落が大峰ヶ台丘陵の南側から南江戸の東側まで広がることが判明したのです。今後は、周辺の詳細な調査をし、中世における集落の様相や構造等について解明していく必要があります。
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