調査は、調査区を南区と北区に分けて行いました。遺構は竪穴建物2棟、土坑6基、柱穴10基を検出し、遺物は弥生土器、土師器、須恵器、石器が出土しました。
弥生時代では、中期中葉の土坑2基(SK502・505)と中期後半の土坑1基(SK503)を検出しました。SK503は直径1.26mの円形土坑で、食糧を保管するための貯蔵として利用されたものと推測されます。
古墳時代では2棟の竪穴建物を検出しました。両者は平面形態が方形状をなす建物で、規模は7mを超える建物です。SB501のカマド内には押し潰された甕が埋置されており、建物廃絶の際に何らかの祭祀行為がなされたものと推測されます。
〔まとめ〕 狭小範囲の調査であったが、弥生時代や古墳時代の集落様相が知れる貴重な成果を得ることができました。遺跡の変遷では、当地に集落が出現するのは弥生時代中期中葉であり、多少の断絶はあったにしろ、古墳時代後期まで集落経営が行われ、古墳時代終末期には古墳が築造されることになります。弥生時代中期から古墳時代後期までは、生活空間として土地利用されていたものが、古墳時代終末期には墓域として利用されたことがわかります。古代以降の様相は定かではないが、1次調査において鎌倉時代の土器溜まりを検出していることから、中世段階には集落が営まれていたものと推測されます。調査地一帯には弥生時代や古墳時代の遺跡が広く展開している可能性が極めて高いと考えられます。
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