開催日 |
遺跡名 |
サイズ |
DL |
平成28年6月18日(土)
10:30~,13:30~の2回
|
道後湯之町遺跡2次調査 |
|
|
所 在 地: 松山市道後湯之町
調査期間: 平成28年4月1日 ~ 6月30日
委 託 者: 松山市 調査要因: (仮称)椿の湯別館施設整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
調査主体: 公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター |
1.はじめに |
今回の発掘調査は、「椿の湯」西隣の宅地であった場所で実施し、遺跡の記録保存を目的として行いました。調査終了後は、松山市がまとめた『まつやま創生未来プロジェクト』の大きな柱のひとつとして進められている、『(仮称)椿の湯別館施設整備事業』が実施されていく予定です。
|
2.調査の概要 |
調査の最初の工程では、地表下約1mまでを重機等を用いて削り取り、その下にある遺物を含んだ黒色系粘質土の「遺物包含層」からは手掘りより調査を進めました。この遺物包含層からは、縄文時代後期(約4千~3千年前頃)の縄文土器片・石鏃 ・刃器、縄文時代晩期(約3千~2千8百年前頃)の縄文土器片・石鏃・石錘・石斧ならびに大分県国東半島の姫島産黒曜石(石器石材)などが出土するとともに、弥生時代中期(約2千前)の弥生土器・石庖丁・石斧や、古墳時代後期~飛鳥時代の須恵器片も出土しています。
一方、遺構は調査区の南東部に多くあり、平面形が長方形や円形の土坑坑、不整形な性格不明遺構などが40基以上検出されています。土坑などの遺構には、縄文時代や弥生時代に構築されたものが多く、中には作業台に使用された台石等が出土したものもあり、当時の生活の様子が推測されるものもあります。土層の堆積状況などからは、縄文時代~弥生時代の地形は調査地の北東から南西へ、緩やかに下がっていたことがわかりました。調査の結果、旧地形・遺構・遺物からは、道後温泉一帯の土地利用や当時の生活の一端が明らかになりました。
検出遺構 |
土坑25基、小穴10基、性格不明遺構5基、井戸7基、現代坑3基
縄文時代後期(約4千~3千年前頃) ………………SK15・SX03
縄文時代後期~晩期(約4千~2千8百年前頃)…… SK8・SK10
弥生時代中期(約2千年前頃) ……………………… SK9・SK14
明治時代以降………………………… SK1・SK2・SK5~7 ほか |
出土遺物 |
縄文土器(深鉢・浅鉢)、縄文石器(石鏃・石斧・楔形石器・石錘・二次加工ある剥片等)
弥生土器(甕・壺・鉢)、弥生石器(石庖丁・石斧各種)
明治以降の瓦・陶器・磁器等
その他…古墳時代後期~飛鳥時代の須恵器片(坏・壺等)が出土 |
|
3.わかったこと |
今回の道後湯之町遺跡2次調査では、今から約4千~2千年前頃の“いにしえの道後”を知るうえで興味深い資料が得られました。
- 縄文時代後期・後期前半~晩期後半・弥生時代中期の遺構と遺物を確認したことから、調査地は、当該期には生活域の一部であったことが推定されました。
- 縄文時代後期~弥生時代中期には、北東から南西へ緩やかに下っていることから、調査地が丘陵の南西裾部付近であったことが推定されました。
- 出土した石器には黒曜石(大分県姫島産)があることから、縄文時代における人や物の移動、交流などを探る資料が得られました。
|
写真 |
|
|
1.調査地全景 |
2.南東部の遺構(北東より撮影) |
|
|
3.縄文土器 |
4.:縄文石器 |
|
|
|
調査地の位置
このホームページに掲載されていますすべてのPDFファイルは、 公益財団法人 松山市文化・スポーツ振興財団 埋蔵文化財センターに著作権があります。著作者に無断で当該著作物(PDFファイル)を無断で使用( 転用・複製・改変・修正・追加・再配布・販売・翻訳など、またはそれに類似する行為)する行為は禁止されています。
|
|