調査では、弥生時代に機能していた自然流路や弥生時代~古墳時代の溝、柱穴、竪穴建物のほか、弥生土器、須恵器、石製品などが出土しました。
1区では溝1条、土坑1基、柱穴1基を検出し、遺物は弥生土器、陶磁器が出土しました。1区では第Ⅷ層から第Ⅹ層付近までの安定した堆積からやや不安定な堆積となることや、低位層での遺構検出が見られることから、調査区は谷部のやや低地に展開する集落関連遺構です。
2区の主な遺構は竪穴建物3棟、溝2条、比較的規模の大きい柱穴4基、その他を検出しました。狭小な調査区ではあるが遺構密度は高く、周壁溝を持った円形・方形の竪穴建物などがあり、時期は概ね弥生時代中期~後期で、そのほかの遺構は弥生時代中期中頃~後期・古墳時代以降です。
〔まとめ〕 調査地周辺は大学構内遺跡の調査地から南に向かって谷地形を呈し、調査地南部の「平和通り」付近で再び微高地になっており、近接する大学構内遺跡付近は微高地上に集落が営まれていることがわかります。本調査地南部の1区は低地、北部の2区は微高地となっていることから、本調査地は文京遺跡南部の微高地に営まれた集落の一部である可能性があります。また、この地域に流れる旧自然流路が想定復元されているが、その分流の一部が調査地南部の1区周辺に流れていたものと想定されます。今回の調査によって文京遺跡の南部域が当地まで広がる可能性があり、狭小範囲の調査ではあったが、文京遺跡の広がりを考える上で貴重な成果といえます。
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