検出した遺構は竪穴建物1棟、溝1条、柱穴11基です。調査は3つの地区(A・B・C区)に分けて実施しました。
A区検出のSB1は古墳時代中期中頃の方形竪穴建物で、建物内からは土師器高坏(坏部・脚部の完形)や甕、鉢などのほか松山平野南部、伊予市市場南組窯址で制作されたと思われる『市場系須恵器』(壺・高坏・甑)が数多く出土しています。これらの須恵
器は平野内での出土例が極めて少なく、土器編年や流通過程などを解明するうえで貴重な資料といえます。
B区からは古墳時代後期、6世紀後半の溝を検出した。南北方向にのびる溝で、溝内には砂や礫などの堆積が見られないことから水利に伴うものではなく、集落を区画するための地割り溝として機能していたものと推測されます。
このほか、A・B・C区からは合わせて11基の柱穴を検出しました。柱穴内からは、古墳時代後期に使用された土師器や須恵器の破片が出土しています。
〔まとめ〕 これまでの調査では工事対象地である松山市余戸地区において、古代から中世、平安時代後期から室町時代において、広範囲に遺跡の存在が証明されています。狭小範囲の調査であったため竪穴建物や溝の全容は定かでないが、今回の調査により調査地や周辺地域における古墳時代集落の存在が確実視されることになりました。このことは、松山市余戸地区における集落様相や変遷を解明するうえで
重要な成果といえます。
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