調査では、主に鎌倉時代の集落関連遺構や遺物を確認しました。調査は、4地区(A~D区)に分け実施し、掘立柱建物1棟、溝15条、土坑3基、井戸1基、柱穴31基を検出しました。
掘立柱建物は2間×1間で主柱穴も小径であることから、小屋や倉庫などの施設と考えられます。井戸は素掘りで2段掘り状を呈し、下部に曲物が伴う構造をもち、掘方は粘土層下の微砂層に最下段の曲物を据えて地下水を取水する構造です。
溝SD7は東側が性格不明遺構に切られており全容は不明であるが、区画に伴う溝の西南角部の可能性をもち東端や北端は更に延びることが想定され、区画内には掘立柱建物や井戸などを伴う集落構造が窺えます。溝SD15は規模や形状から基幹水路と考えられ、調査地から西側には耕作地が広がることが想定されます。
遺構内からは集落内で使用されていた土師器の坏や皿、土鍋、土釜、瓦器椀、須恵器のこね鉢、陶器の鉢などの遺物が出土しました。土師器などの在地で生産されたものに加え、瓦器や須恵器、陶器などの畿内や山陽地方で生産されたものなどが含まれており、調査地周辺の集落では流通品も使っていたことが分かりました。
〔まとめ〕 今回の調査により中世集落を検出したことは、余戸中の孝遺跡1次~3次調査から約270m西北部にも集落が広がることを示すものであり、沖積低地における集落構造を解明する上で貴重な資料です。
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