調査では、平安時代から室町時代の遺構や遺物を確認しました。
標高3.2m前後の地点からは、掘立柱建物址4棟、溝9条、土坑5基、土坑墓1基、柱穴235基を検出しました。
建物址(鎌倉時代)は1間×1間もしくは1間×2間の小規模なもので、倉庫的として使用されたものと推測されます。なお、9基の建物柱穴からは、柱材の一部が遺存していました。
また、調査では真北方向に掘削された幅1~2 m、深さ30~50㎝の溝(平安時代後期~鎌倉時代)が検出されていますが、調査地南方にある余戸柳井田遺跡4次調査(愛媛県埋蔵文化財センターが調査を担当)では東西方向にのびる同規模の溝が検出されており、両者が同一の溝とすれば何らかの施設を取り巻く区画溝の可能性があります。溝からは土師器や須恵器、瓦器のほか、植物の葉が描かれた板状の木製品や種子(モモ)などが出土しています。
このほか、土坑墓(13世紀後半)からは屈葬状態の人骨と棺の一部が出土しています。次に、標高4m前後の地点からは水田耕作に伴う足跡を検出しました。足跡には人間と牛とがあり、牛の足跡は2,077個あり、足跡総数は3,000個以上です。足跡は各々が真北方向に直交、または平行に進んでいることから、真北方向を指向した水田区画が存在したものと推測されます。なお、検出層位や出土遺物より、本調査検出の水田址は余戸柳井田遺跡1・2次調査で検出
した水田址と同時期のものと考えられます。
〔まとめ〕 今回の調査では、調査地や周辺地域には平安時代から鎌倉時代にかけて集落に関連する何らかの施設が存在し、その後、室町時代には水田や畑などを営むようになったものと考えられます。今後は整理・研究を進め、水田の形状や規模、範囲などを解明し、当時の水田を復元する必要があります。
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