今回の調査では、弥生時代から古代までの竪穴建物(SB)5棟、掘立柱建物1棟、溝5条、土坑2基、古墳1基(2号墳)、柱穴23基(掘立柱建物柱穴7基を含む)、倒木址2基を検出し、遺物は弥生土器、土師器、須恵器、石器が出土しました。
弥生時代の8区検出のSB801は推定直径7.3m以上の円形建物で、恵原新張遺跡1次調査の4区で検出したSB401 と同一の建物です。SB801からは壁体に沿って周壁溝を検出したが、一部重複する箇所があり、建て替えが施された建物と思われます。SB801の廃棄・埋没時期は弥生時代末と考えられます。
古墳時代では、6区からは竪穴建物3棟と7区からは古墳1基(2号墳)を検出しました。古墳時代後期では6区で検出した竪穴建物3棟があり、平面形態は隅丸方形をなし、SB603とSB604は後期中葉、SB601は後期後半の建物です。このうち、SB601からは厨房施設であるカマドと思われる焼土塊を検出しました。また、2号墳は後世の削平が著しいため、墳丘は遺存しておらず、埋葬施設である石室の一部を検出しました。北西方向に開口部をもつ横穴式石室と考えられ、側壁と奥壁に使用した基底石のみが遺存している状況でありました。石室内からは遺物の出土はなく、石室の形状等より1号墳と同様、古墳時代末頃の築造と推測されます。
〔まとめ〕 調査地内には弥生時代中期後半期から終末、古墳時代後期から末、古代にかけて確実に集落が営まれていたことが判明しました。。
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