調査で検出した遺構は溝3 条、土坑3 基、柱穴15 基で、遺物は縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、石器が出土しました。
縄文時代では、後期後半の土器1点(深鉢の口縁部片)が出土しました。周辺の調査では、久米窪田Ⅴ遺跡から縄文時代中期~晩期の土坑、久米窪田Ⅰ遺跡からは縄文時代後期の竪穴建物、久米窪田森元遺跡1次調査からは縄文時代後期の土坑を検出しています。
弥生時代では、柱穴内から弥生時代前期の甕形土器片が出土しました。周辺では、久米窪田Ⅳ・Ⅴ遺跡から弥生時代前期の竪穴建物と土坑墓、久米窪田古屋敷遺跡1 次調査からは同時期の溝と土坑を検出しています。
古墳時代では、6世紀後半の溝2条(SD101・201)と土坑2基(SK101・201)を検出しました。なお、その他の溝や土坑も6 世紀代と考えられる遺構です。周辺では、久米窪田Ⅳ遺跡から同時期の竪穴建物と土坑、久米窪田森元遺跡3次調査からは溝を検出しています。
〔まとめ〕今回の調査では、弥生時代前期や古墳時代後期の遺構を検出し、縄文時代後期から古墳時代後期の遺物が出土しました。久米窪田町一帯には、縄文時代から古墳時代に至る遺跡が広く展開しているものと考えられているが、とりわけ過去の調査により、今回の調査で検出した古墳時代後期の遺構は、当地一帯における古墳時代集落の構造を解明するうえで良好な資料といえます。
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