開催日 |
遺跡名 |
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平成27年2月22日(日) |
船ヶ谷遺跡5次調査 |
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1.調査の概要
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調査地は、周知の遺跡である東山古墳群内にあります。試掘調査は、平成26年8月4日~8月13日の間に行いました。試掘調査の結果、2地点で須恵器や埴輪などが出土し古墳の存在が想定されました。 本格調査は、須恵器や埴輪などが出土した2地点について北側をA区、南側をB区として調査をおこないました。A区では古墳1基(船ケ谷三ツ石3号墳)のほか、土坑などが見つかりました。B区では古墳1基( 船ケ谷三ツ石4号墳)が見つかっています。三ツ石(みつし)3号墳、4号墳についてこれまでの調査で分かった事を説明します。 |
2.船ヶ谷三ツ石3号墳(ふねがたにみつし3ごうふん) |
・古墳を覆っていた盛り土(墳丘)は人為的な地形改変によってほとんど消失しています。 ・主体部(埋葬施設)はA主体部、B主体部のふたつがあります。 ・A主体部から8m南側に幅約2.4 m、深さ約0.6 mの周溝が巡ります。
(A主体部について) ・主体部は西に開口する片袖の横穴式石室です。 ・羨道部(せんどうぶ)(入口)から玄室へは段を降りる構造となっています。
・玄室床面に玉石が敷かれています。
・玄室規模は長さ約3.6m、幅1.4~ 1.5m、室高0.2~ 1.3mを測ります。
・遺物は玄室内で須恵器、鉄製品が出土しています。特に入口側に集中します。
・鉄製品には大刀、鉄鏃、鉇(やりがんな)、轡(くつわ)があります。
・耳環、玉類などの装飾品は出土していません。
・時期は出土遺物より6世紀前半~中頃と考えられます。
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大刀が出土した様子 |
須恵器が出土した様子 |
(B主体部について)
・A主体部の南東側約5mに位置します。
・人為的な地形改変により玄室床面の一部しか残っていません。
・検出規模は長さ(南北)2.4m、幅(東西)0.5~1.0 mを測ります。
・玄室床面に扁平な割り石と玉石が敷かれています。
・遺物は大刀の破片1点、須恵器片、耳環1点が出土しています。
・時期はA主体部同じ頃と考えられますが前後関係は不明です。 |
3.船ヶ谷三ツ石4号墳(ふねがたにみつし4ごうふん) |
・主体部は西に開口する両袖式の横穴式石室です。
・玄室規模は長さ約4.8m、幅1.6~2.0m、室高0.5~1.6mを測ります。
・遺物は玄室内で須恵器、土師器のほか鉄鏃、轡などの鉄製品や耳環、切子玉、管玉、 棗玉(なつめだま)(埋もれ木玉)などの装飾品が出土しています。
・墳丘上に埴輪列が見つかっています。
・時期は出土遺物より6世紀前半~中頃と考えられます。
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耳環・管玉が出土した様子 |
須恵器や土師器が出土した様子 |
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4.わかったこと |
今回の調査では、古墳時代後期の古墳2基( 船ヶ谷三ツ石3・4号墳) などを発見しました。これらの古墳の石室内からは、6世紀前半~中頃の土器や鉄製品・装飾品などが多数出土しました。 本調査地北東側の丘陵上には、5世紀における有力者の墓と推定される船ヶ谷向山古墳( 前方後円墳)が発見されているほか、南東側の丘陵上には5世紀後半~6世紀初頭と推定される船ヶ谷三ツ石1号墳が発見されています。これらのことから、久枝地区の5~6世紀における古墳の分布や構造などを解明する手がかりを得ることができました。 |
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