開催日 |
遺跡名 |
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平成27年1月30日(金)未開催
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祝谷畑中遺跡3次調査 |
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所在地:松山市祝谷二丁目142番1、142番2の各一部
調査面積:約90㎡
調査期間:平成27年1月19日(月)~同年1月30日(金)
調査主体:公益財団法人松山市文化・スポーツ振興財団埋蔵文化財センター |
1.遺跡の立地・環境 |
調査地は、高縄山地に源を発した永谷川と、その支流である丸山川とによって形成された開析谷を主体とした扇状地上の標高38.6mに位置しています。周辺には、永谷川左岸域に祝谷アイリ遺跡、祝谷丸山遺跡、祝谷大地ケ田遺跡3 次・4 次調査、祝谷本村遺跡、祝谷畑中遺跡、土居窪遺跡があり、永谷川右岸域には祝谷六丁場遺跡、祝谷西山遺跡など、これまで数多くの発掘調査が行われています。特に近隣の遺跡では北西に所在する祝谷六丁場遺跡からは、丘陵部において弥生時代後期の埋納された平形銅剣が出土しています。 また、北東の祝谷畑中遺跡では弥生時代前期末から中期中葉頃の大溝が検出されており、松山平野でも特に注目されている地域であります。
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2.今回の調査で検出した遺構 |
弥生時代から中世までの遺構を検出しました。
竪穴建物1 棟、溝5 条、土坑1 基、柱穴14 基、鋤跡2 条
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3.出土した遺物 |
- 弥生土器(甕・壺):弥生時代後期
- 土師器(坏・土鍋か土釜の三足脚):中世
- 陶 器(鉢):中世
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4.わかったこと |
弥生時代から中世の遺構や遺物を確認しました。
弥生時代では、竪穴建物、溝、土坑、柱穴などが見つかり、周辺遺跡で見つかっている丘陵上に展開する集落が当地にまで展開していることが確認できました。SB1は周壁溝を伴う構造で、北壁部分を中心に床面から見つかった焼土や炭化材から、建物内が焼けた痕跡と推定できます。SD5はその形状や溝の内側である南側の検出面が平らなことから、円形の竪穴建物の可能性をもちます。
調査地から北東約80mの畑中遺跡では弥生時代前期末から中期中葉にかけての大溝が見つかり、当調査地の南に接する市道の下を大溝が巡っていることが想定されています。今回の調査で見つかった竪穴建物はその大溝の内側に位置し、大溝の埋没後にも継続的に集落が経営されていたことが考えられます。
中世以降の溝や鋤跡は、緩やかに傾斜する地形ラインに沿う様に東西方向に延びています。これらは傾斜地における農耕の痕跡を示すもので、中世の生産域が調査地周辺に展開しているものであります。
今回の調査では、弥生時代から中世の集落跡や生産跡が見つかり、当時の集落範囲や構造を解明する上で貴重な資料を得ることができました。
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調査風景(西より) |
A区遺構完掘状況
(北より) |
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A区SB1の床面から
出土した土器(南より) |
B区遺構完掘状況
(北東より) |
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調査地の位置
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