開催日 |
遺跡名 |
サイズ |
DL |
平成25年11月30日(土)10:30 |
文京遺跡53次調査 |
2.75MB |
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1.検出遺構
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*PDFファイルは同じものです。 |
溝 : 4 条〔鎌倉時代~室町時代〕
自然流路: 1条〔鎌倉時代~室町時代〕
柱 穴 : 155 基〔鎌倉時代~室町時代〕
などが見つかりました。 |
2.出土遺物
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縄文土器(後期~晩期)、弥生土器、土師器、須恵器、陶磁器、石器、動物骨 |
3.わかったこと |
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今回の調査では、中世段階の遺構や遺物のほか、縄文時代の遺物を検出しました。1 区では、最大幅3m、深さ80㎝を測る南北方向の溝SD101が検出され、溝からは中世、室町時代の土師器土釜や擂鉢のほか牛の臼歯などが出土し、大型の礫がみられたことから、激しい水流があったと思われます。北側にある文京遺跡4 次調査(松山市立東中学校構内)では中世の流路がみっかっており、溝のSD101 はこの流路から取水するための主要水路であったと思われます。また、2 条の溝(SD102・103も中世段階の水路と考えられます。このほか、そのほか畑耕作に伴う鋤跡溝が見つかりましたが、水田跡や畑跡は見つかりませんでしたが、当地や近隣地域は中世のころには耕作地として土地利用されていたのでしょう。
3 区では自然流路を検出しました。試掘調査の際に見つかった東西方向に流れる自然流路の一部分と考えられます。これらの溝や流路以外では、多数の柱穴が見つかりました。とりわけ、2区で見つかった柱穴からは中世の土師器土釜や瓦質の釜などの破片が出土しています。残念ながら建物址は検出されませんでしたが、近隣地域には中世の建物があったようです。
縄文時代の遺物は、基本層位の第Ⅷ層黄色シルト層から出土しました。明確な遺構は見つかりませんでしたが、縄文時代後期や晩期と思われる土器のほか、サヌカイト製の石鏃やスクレイパーなどが出土しています。
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写真1 調査地全景(西より) |
写真2 2 区完掘状況(西より) |
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開催日 |
遺跡名 |
サイズ |
DL |
平成25年11月30日(土)10:30 |
文京遺跡54次調査 |
275MB |
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1.検出遺構
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*PDFファイルは同じものです。 |
溝 : 1 条〔鎌倉時代~室町時代〕
土 坑 : 1 基〔時代不詳〕
柱 穴 : 30 基〔鎌倉時代~室町時代〕
自然流路: 2条〔弥生時代~室町時代〕
などが見つかりました。 |
2.出土遺物
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縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器、サヌカイト片、銭貨、動物骨 |
3.わかったこと |
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主に中世の遺構と、縄文土器や弥生土器、土師器などが出土しました。 1区:溝のSD101は、U字状に掘られた人工的な溝で、直線的にほぼ真北に延びていました。この北側の53次調査で見つかった溝SD101につながることが分かりました。また、第Ⅷ層中からは縄文土器片やサヌカイト片などが出土しました。 2区:第Ⅷ層上面にて柱穴が見つかりましたが、建物は確認できませんでした。第Ⅷ層中からは、縄文土器片や焼土の塊などが調査区東側から出土しました。 3区:第Ⅷ層上面にて、土坑のSK301や柱穴が見つかりました。SK301内には焼土の塊が密集した状態で入っており、わずかに炭化した木材片が見つかりました。土坑の底面は焼けており、中で火が使用されていたようです。調査区東壁付近では、礫が密集した状態で見つかり、その周囲からは縄文土器片が僅かに出土しました。 4区:第Ⅷ層が落ち込む急傾斜面にて、自然流路SR402が見つかり、北側に想定される旧流路の南岸部分と考えられます。堆積した砂礫層からは、弥生土器片や土師器、須恵器片が出土しました。この溝の上層には、南岸に沿って小さい流路SR401が見つかり、ここから出土した土器から中世頃まで流れていたことがわかりました。
今回の調査では、第Ⅷ層中より縄文時代の土器や焼土の塊が見つかった事から、調査地内には縄文時代集落の存在が想定できます。弥生時代の遺構は確認されなかったことから、旧流路南岸付近は集落の周辺域であったと想定されます。また中世の溝は水路施設の可能性をもち、当時は耕作地として土地利用されていたと考えられます。
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写真1 1 ~ 3 区全景
(西より) |
写真2 3区SK301 焼土検出状況(北東より) |
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