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北梅本乙井遺跡(きたうめもとおとい)

    開催日
    遺跡名
    サイズ
    DL
  • 平成24年9月30日(土)10:30 ~
  • 北梅本乙井遺跡 3.36MB PDF
    1.検出遺構    
     
    2.出土遺物    
    縄文土器、黒曜石・サヌカイト製の石鏃(せきぞく)
    3.調査の成果と課題    

      (仮称)葉在池(はざいけ)古墳公園は平成26 年開園を目標に整備が始まります。この整備の一環として、古墳丘陵西麓にガイダンス施設が建設される予定です。これに先立って、平成23 年度、建設予定地内に遺跡が存在しているかどうかの確認調査を実施したところ、用地の一部から縄文時代早期(今からおよそ7 ~ 8,000 年前)の土器が発見されました。この時代の遺物の出土は、有名な久万高原町上黒岩(かみくろいわ)遺跡や西予市穴神洞(あながみどう)・中津川洞(な かつがわどう)遺跡などの岩陰(いわかげ)や洞窟(どうくつ)遺跡での出土例がありますが、松山市内での出土は非常に珍しく、今回が近隣の上苅屋(かみかりや)遺跡3次調査に続く2例目ということになります。そこで、このような古い時代の縄文土器や石器がどのような状態で地下に埋まっているのか、当時の祖先の暮らした痕跡がこの場所に残っているのかどうかなどを知るために発掘調査を行いました。
    確認調査でもわかっていたことですが、調査地には大小さまざまの河原石が混ざった土が堆積しています。おそらく昔・むかしの小野川が何度も洪水を繰り返しながら流域に石や土砂を運び、堆積したものと考えられます。土器や石器はどちらかというと石の少ない部分の黄色味を帯びた土の中から出土しています。石混じりの氾濫原のあちこちに生まれた、沼地のような窪みに土砂とともに流されてきた土器や石器が溜まった状況であると考えられます。残念ながら、大昔のひとびとの生活の痕跡(住居や火を焚いた跡、貯蔵のために掘った穴や落とし穴など)は見つかりませんでしたが、上苅屋遺跡での出土とあわせて考えると、小野川流域のどこか、おそらく上流の山あいのあたりには当時のひとびとが暮らしていたのでしょう。


    調査地遠景状況(南東より)
    作業風景(南より)
     
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