松山城は、日本三大連立式平山城の一つに数えられ、別名勝山城、金亀城ともいわれます。
城郭は、慶長7年(1602)に初代藩主加藤嘉明によって建設が始められ、その後、転封された二代蒲生忠知(1627年~1634年)によって二之丸をふくむ城郭全体が完成したと考えられています。
二之丸は、本丸を防備するための施設で、内側には藩主の生活や政務のための二之丸邸がありました。二之丸邸における発掘調査では瓦、陶磁器、土師皿、焼塩壺、土製品、木製品、古銭、鉄製品、銅製品、硯、魚骨、獣骨など、たくさんの生活品(遺物)が出土しています。
特に注目される遺構として大井戸遺構があり、これは東西18m、南北13m、深さ9mを測る立派なもので、内部に水汲み用の石段や、奥御殿御料理所に通じる地下通路などをそなえています。 |