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小野地区の遺跡紹介24 『南梅本長広(みなみうめもとながひろ)遺跡1・2次調査』

投稿者| hajiki in 発掘調査・試掘調査 | Tagged | コメントを残す

縄文時代晩期~江戸時代の集落跡が見つかり、悪社川北岸の段丘上には長く人々が定住していたことがわかりました。鎌倉時代~江戸時代 の農業関連遺構と考えられる円形の土坑は、農業用の貯水施設として使用されたと考えられ、調査区内で … Continue reading

小野地区の遺跡紹介23 『南梅本上方(みなみうめもとかみがた)遺跡1次・2次調査』

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鎌倉時代の掘立柱建物を構成する柱穴内には、土師器の坏や皿が納められており、建物の廃絶に伴う祭祀行為が行われていたことがわかりました。

小野地区の遺跡紹介22 『播磨塚(はりまづか)古墳』

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古墳時代終末期の古墳で、巨石の面をそろえて造られた両袖式の横穴式石室であり、玄門を除いて巨石で構成されています。大刀 の柄頭や須恵器が副葬されていました。

小野地区の遺跡紹介21 『播磨塚天神山(はりまづかてんじんやま)古墳』

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播磨塚の名は『播磨国風土記』・『古事記』・『日本書紀』に記載されている来目部(くめべの:久米部)小楯(おだて)の墓がこの地に造られたという伝承に由来しています。微高地上にはかつて20 数基の古墳が存在していたといわれ、古 … Continue reading

小野地区の遺跡紹介20 『水泥(みどろ)遺跡1~7次調査』

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3次調査では、古墳時代後期の溝や柱穴が見つかり、調査地より南には集落が広がっていました。飛鳥時代~江戸時代の遺構には溝・土坑・柱穴・杭列・自然流路・水田址などがあり、時代を経て広い生産域をもつ農村集落が継続していました。 … Continue reading

小野地区の遺跡紹介19 『平井(ひらい)遺跡1~9次調査』

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弥生時代前期~後期の土坑や溝などが見つかり、弥生時代を通して集落が営まれていたことがわかりました。

小野地区の遺跡紹介18 『下苅屋(しもかりや)遺跡1~4次調査』

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自然流路   2次・3次調査では、古市遺跡から西流する自然流路の南岸や北岸が見つかりました。当地での流路幅は50m~80mにもおよぶもので、当時の河川交通にとって重要な川になっていて、川沿いにある弥生時代前期~ … Continue reading

小野地区の遺跡紹介17 『五楽(ごうらく)遺跡1~3次調査』

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弥生時代前期の土坑には、貯蔵穴のほかに土器や石器の製作に関連するものが発見されました。また、古墳時代後期末の掘立柱建物群は、松山平野東部古窯址群で生産された須恵器を平野内に運搬・供給するための保管場所(集積地)であったと … Continue reading

小野地区の遺跡紹介16 『古市(ふるいち)遺跡1・2次調査』

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1次調査で発見された自然流路(旧河川)は、流路幅は70m~100mと推定され、弥生時代前期から奈良時代にかけて機能していたことがわかりました。

小野地区の遺跡紹介15 『上苅屋(かみかりや)遺跡3次・4次調査』

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平成14~15年には市道改良工事に伴って2回の発掘調査が行われ、旧石器時代~近世の生活した痕跡が見つかっています。 3次調査地から東を望む(西より)