自然流路
2次・3次調査では、古市遺跡から西流する自然流路の南岸や北岸が見つかりました。当地での流路幅は50m~80mにもおよぶもので、当時の河川交通にとって重要な川になっていて、川沿いにある弥生時代前期~奈良時代の集落とは、河川交通と密接な関わりをもっていたことと考えられます。
集落
1次・3次・4次調査では、自然流路の南岸付近で古墳時代後期の集落が見つかりました。集落は竪穴建物や掘立柱建物で構成され、たくさんの焼けひずんだ須恵器の不良品とそれに混じり 窯壁片が出土しました。この集落は、窯業生産地から消費地へ水運を利用しての須恵器を運ぶ際の中継地や須恵器の選別地であったと考えられます。
|
|