下難波腰折遺跡2次調査

投稿者: hajiki in 発掘情報展, 発掘調査・試掘調査, 遺跡紹介 | コメントを残す

 下難波腰折遺跡2次調査は、昨年度に調査を行った1次調査に続く2回目の調査になります。1次調査地では古墳4基が見つかり腰折2号墳では木炭床が確認されるなど大きな成果を上げることができました。
 今回の調査地は、1次調査の南西150mの東方向から西方向に下る尾根上の標高26~28mに位置します。調査前の現況は、ミカン畑でした。眺望は西方に開け、瀬戸内の多くの島々を望むことができます。調査で見つかった主な遺構は古墳3基(腰折5号墳~7号墳)、性格不明遺構1基(SX1)です。見つかった古墳の埋葬施設は、いずれも壊れていて全容は不明ですが5号墳は横穴式石室、6~7号墳は石室形態不明の小さな石室です。遺物は、石室内や周溝などから出土した埴輪や須恵器のほか、鉄器や装飾品が出土しています。以下、見つかった遺構について概略します。
[腰折5号墳] 石室と周溝を検出しました。墳丘盛土は、一部を残すのみでほとんど失われていました。石室は、南側に開口する両袖式の横穴式石室です。壁体は奥壁から入口にかけて2段~4段を残していました。天井石は石室内への落下も無く、周辺にも見られませんでした。
石室規模は長さ5.76m(玄室長4.36m)、幅1.80~1.30m、残高1.20mを測ります。玄室床面は直径2.0~6.0cmの玉石を貼床(厚さ6.0~8.0cm)上に敷き詰めて礫床としています。
   遺物は土師器、須恵器、鉄器、装飾品があります。土師器は坏、須恵器には高坏、短頸壺、長頸壺、提瓶、鉄器は大刀、鉄鏃、鋤先、刀子、轡、装飾品では耳環、管玉、切子玉、勾玉、平玉、棗玉、ガラス小玉、粟玉など150点以上が出土しています。このうち勾玉は水晶(すいしょう)、平玉は碧玉(へきぎょく)、棗玉(なつめだま)は琥珀(こはく)で作られています。
   周溝は、石室中央から東側7.0mで検出しました。南、北、西側では検出していません。検出規模は幅3.00m、深さ0.30~0.40mを測ります。
古墳の墳形と規模は、検出した周溝の形状などから直径14m前後の円墳と考えられます。時期は6世紀中頃に比定しています。
[腰折6号墳] 5号墳から東へ24mで石室のみを検出しました。墳丘の盛土はすべて失われ、周溝などの施設も見つかっていません。このため墳形、規模とも不明です。壁体は基底石の1段を残すのみで部分的に抜き取られています。石室中央部には東西方向に灌漑用水のパイプ溝が掘られています。検出規模は石室内法で長さ1.10m、幅0.54m、残高0.32mを測ります。床面は、直径2.0~4.0cmの玉石を貼床(厚さ3.0~4.0cm)上に敷き詰めています。遺物は南側の奥壁沿で須恵器の短頸壺が1点出土しています。そのほか、床面で馬具やガラス玉などが出土しています。時期は出土遺物より6世紀後半~7世初頭に考えています。
[腰折7号墳] 6号墳から東へ29mで石室のみを検出しました。墳丘の盛土はすべて失われ、周溝などの施設も検出していません。このため墳形、規模とも不明です。石室南側には東西方向に灌漑用水のパイプ溝が掘られています。壁体は基底石の1段を残すのみで部分的に抜き取られています。検出規模は石室内法で長さ1.60m、幅0.66m、残高0.28mを測ります。床面は、直径2.0~4.0cmの玉石を貼床(厚さ3.0~4.0cm)上に敷き詰めています。遺物は北側の床面上でガラス玉などが出土しています。時期は出土遺物より6世紀後半~7世初頭に考えています。
[SX1] SX1は5号墳の北側で検出した遺構です。平面形態は溝状を呈します。遺物は、埋土中より須恵器や鋤先が出土しています。時期は出土遺物より5世紀後半と考えられます。

   以上、下難波地区にはたくさんの古墳の存在が知られていますが、本各的な発掘調査の事例は少なく、様相が不明な地域でした。下難波腰折遺跡では、2次調査の3基の古墳を含め7基の古墳を調査することができました。いずれも、6世紀以降に築造された後期古墳と呼ばれる古墳でしたが石室形態や副葬品の種類など、下難波地区の古墳の様相を知る貴重な資料を得ることができました。

 出土品の一部は、松山市立考古館ロビーの発掘情報展コーナーにて、令和3年3月末頃まで展示の予定です。

調査地全景(東より)

 

腰折5号墳全景(北より)

腰折5号墳の石室入口(南より)

腰折7号墳石室完掘状況(西より)

腰折5号墳とSX1(東より)

SX1遺物出土状況(東より)

コメントは閉じています。