令和元年9月から1か月間、調査を行いました。調査面積は約280㎡です。調査範囲が狭かったため、遺跡の全体像を確認することはできませんでしたが弥生時代から古墳時代の竪穴建物跡や柱穴、溝跡などが見つかりました。
竪穴建物跡はのちの時代に削り取られたり、調査範囲の外にも延びていたりして、全体を掘り出すことはできませんでしたが、少なくとも一辺5m以上の四角い建物であることや出土した土器から古墳時代初め頃のものであることが分かりました。
柱穴は口の部分の直径が20㎝前後の小さいものから、80㎝を超える大きなものまであり、それぞれに見合った建物があったようです。”建物があったよう“という書き方をしたのは、調査範囲の狭さから、全体の規模がほとんど分からなかったからです。
でも将来、隣の土地を含めてもっと広い範囲を調査することがあれば、きっといろんなことが分かってくると思います。
この遺跡の周囲には、もうなくなってしまいましたが、永塚古墳という長さ約28mの大きさの前方後円墳をはじめとする多くの古墳があります。さらに弥生時代から近世にかけての集落跡、古代の瓦窯跡など、長い間私たちの祖先がが生活し、物を作り、そして葬られるという営みの跡がたくさん見つかっています。
衣山内宮田遺跡の発掘調査 |