今回は、松山外環状道路の建設に伴う12遺跡の発掘調査のまとめを報告します。
調査地は、松山市余戸西・東垣生町・南吉田町の3地区に広がる松山平野沿岸部付近の低地にあり、南吉田南代遺跡では、弥生時代前期から中期頃と弥生時代末から古墳時代初頭の二時期を中心に遺跡周辺で人々が営んでいたことが分かりました。漁労具や製塩土器などの海との係りをもつ遺物も見つかっており、浜辺近くに集落があったことが想像できます。余戸中ノ孝遺跡では、古墳時代前期から後期にかけての集落の竪穴建物内から、松山平野南部の窯で作られたと考えられる須恵器が発見されことは、その窯の流通を知ることができます。古代頃の人々の痕跡は見つかりませんでしたが、東垣生八反地遺跡では、平安時代後期頃から鎌倉時代には区画された集落が見つかっており、室町時代になると集落が耕作地へ変化したことがわかりました。発掘調査により平野沿岸部の集落の移り変わりが解明される貴重な遺跡となりました。
松山外環状道路関連遺跡の整理でわかったこと |