松山外環状道路建設に伴う遺跡の発掘調査は、余戸、東垣生町、南吉田町の約1.3kmにかけて実施しました。なかでも余戸と東垣生町では、遺構や遺物が数多く見つかり、平安時代末から室町時代にかけての中世頃の集落跡や水田跡が見つかりました。
今回は、集落内から出土した中世の遺物(国内産)をご紹介します。
土師器の椀・坏・皿などの食膳具や土釜・土鍋などの調理具などは、殆どが地元産でありましたが、瓦器や須恵器・陶器などは国内各地で作られたものなどが出土しました。この頃の日本は国内産の物品の流通が盛んで、瀬戸内海は流通の大動脈でありました。瓦器の椀や皿、須恵器のこね鉢などは近畿地方、陶器は東海地方から中国地方で生産され、松山まで運ばれて来たのが出土した遺物の特徴から分かりました。