松山城は、松山平野北部の独立丘陵「勝山」を中心に造られた近世城郭で国指定史跡「松山城跡」であり、勝山の山頂に本丸、裾部に二之丸と三之丸が築かれていました。
堀之内を亀の頭、勝山を胴体と脚、東雲神社付近をシッポに見立て別名、金亀城、亀郭城とも呼ばれていました。
左の絵図は松山城屏風絵であり、今から約300年前の江戸時代前期(元禄期)に描かれたもので、当時の三之丸の建物の様子がよくわかる絵図であります。右の絵図は今から約150年前の幕末に描かれたもので、藩の役所は黄色、それ以外の屋敷は灰色で表現されています。
松山市では堀之内の整備を進めていますが、整備において基礎資料の取得と遺構の保護を目的に、古絵図を参考に平成13年度から確認調査を実施しており、今回の調査は19回目となります。
松山城三之丸跡19次調査では、三之丸西端を南北方向に延びる馬場の北端(1区)と三之丸御殿東南部(2区)の様相を確認することを目的に只今、調査中であります。