3次調査では、古墳時代後期の溝や柱穴が見つかり、調査地より南には集落が広がっていました。飛鳥時代~江戸時代の遺構には溝・土坑・柱穴・杭列・自然流路・水田址などがあり、時代を経て広い生産域をもつ農村集落が継続していました。
また、江戸時代の水田からは土人形が割れた状態でまとまって出土しており、農耕に伴う祭祀が行われていたことがわかります。
小野地区の遺跡紹介20 『水泥(みどろ)遺跡1~7次調査』 |
3次調査では、古墳時代後期の溝や柱穴が見つかり、調査地より南には集落が広がっていました。飛鳥時代~江戸時代の遺構には溝・土坑・柱穴・杭列・自然流路・水田址などがあり、時代を経て広い生産域をもつ農村集落が継続していました。
また、江戸時代の水田からは土人形が割れた状態でまとまって出土しており、農耕に伴う祭祀が行われていたことがわかります。