投稿者の過去の記事1: hajiki
匠(たくみ)の技です |
遺跡を発掘すると、古代人の活動の痕跡である建物跡(遺構いこう)や土器(遺物いぶつ)などが発見されます。 遺物のなかでも土器は、ほとんどが割れた破片の状態で発見されており、これを歯ブラシでキズを付けない様に水洗 … Continue reading
歴史が積み重なって発見されました。 |
松山城三之丸跡19次調査 現在の堀之内に位置する松山城三之丸跡は、今から約400年前の江戸時代初期に築造が開始され、藩主の屋敷や藩の役所、上級武士の居住区などに区画されていました。その後、明治から昭和の終戦にかけては旧 … Continue reading
江戸時代の砥部焼が見つかりました。 |
松山城三之丸跡19次調査 堀之内西北隅で実施した松山城三之丸跡19次調査では、地表面下3mの地点から江戸時代の三之丸施設である馬場土手などが発見されました。江戸時代の地表面上には、灰色の炭混じり土が40~50cm覆っ … Continue reading
『松山城三之丸跡19次調査』の現地説明会を開催します(ご案内) |
今回の調査では、馬場の北端付近から馬場の出入り口の土手や三之丸御殿東端付近で石組溝などが発見されました。これらの遺構は地下約2~3mの深さから発見されました。また、御殿が明治3年に焼失した後に掻き出されたと考えられる土 … Continue reading
松山城三之丸跡19次調査① |
松山城は、松山平野北部の独立丘陵「勝山」を中心に造られた近世城郭で国指定史跡「松山城跡」であり、勝山の山頂に本丸、裾部に二之丸と三之丸が築かれていました。 堀之内を亀の頭、勝山を胴体と脚、東雲神社付近をシッポに見立て別 … Continue reading
松山城三之丸跡18次調査⑤ |
松山城三之丸の西端には、藩士が弓馬の稽古に利用された馬場がありました。
松山城三之丸跡18次調査④ |
松山城三之丸の西端には、土塁の内側を南北方向に延びる馬場(約365m)があり、この馬場横沿いに走る溝(南北溝)が絵図に描かれています。
松山城三之丸跡18次調査③ |
松山城三之丸御殿の西側には、北御門広場と南北方向道路を区画する溝(東西溝)があり、前回の調査で東端が見つかりました。この溝は、三之丸御殿西側の側溝と道路の側溝の水が東西溝に流れ込む、三之丸内最大の溝(幅1.3m)であるこ … Continue reading
松山城三之丸跡18次調査② |
今回の調査地は、城山公園(堀之内地区)の西北部に位置します。過去に17回の確認調査が行われ、当時の松山城三之丸の様相が浮かび上がりつつあります。調査は古絵図を基にして調査場所を設定し、重機で近現在の造成土を掘削した後、人 … Continue reading
松山城三之丸跡18次調査① |
松山城三之丸跡18次調査は、史跡松山城跡保存整備に伴う埋蔵文化財の確認調査で、既往の確認調査成果と古絵図を参考に、北御門広場南側の東西方向に延びる溝と、その西側に位置する馬場付近の確認を目的に平成27年11月16日~同年 … Continue reading