(松山市営球場の銘板)
野球王国愛媛の聖地的存在として、高校野球や社会人野球などの名勝負が数多く繰り広げられ、1959年には大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)、1961、62年は大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、1965~68年の4年間は中日ドラゴンズ、1974年は日拓ホームフライヤーズから球団を譲り受けた日本ハムファイターズのキャンプも行われた「松山市営球場(1948年7月設置)」。
開場から40年以上経過した1990年代になると、老朽化による整備を余儀なくされましたが、球場のある城山公園は国の史跡に指定されており、文化財保護の観点から大規模改修ができず、中央公園計画区域(松山市市坪西町)への球場移転が決定されました。
2000年(平成12年)に松山中央公園に「坊っちゃんスタジアム」が開場したことで市営球場は解体されましたが、野球王国愛媛を支えてきた球場の存在を後世に残すために、現在の城山公園堀之内地区のふれあい広場にモニュメントや解説板が設置され、松山中央公園にも解体後の「松山市営球場の銘板」が移設されました。園内でのウォーキングやお散歩の際には是非探してみてくださいね。