五明伝説


五明伝説

FILE.1 いなくなった地蔵様(横山城跡)

いなくなった地蔵様のお話しの前に横山城跡の説明をせねばなりません。

野外活動センターの体育館の北側の山の尾根づたいに山道を北へ10分ほど(約400m)歩いた場所に城跡があります。その名を横山城と言います。

横山城は、湯築城(今の道後公園)を守る戦略的な拠点として、建武年間(1334~1336年)に、河野通武が築いた城です。海抜460mの険しい山の上にあり、眼下に瀬戸内海を一望することが出来ます。通武の子孫、南氏が代々ここを居住としていましたが、天正13年(1585年)に小早川隆景に攻められて落城しました。その後400年を経た現在、わずかに昔の面影をとどめています。

この城跡は、西北に伸びた(本丸)と(馬乗り駄場)があります。城跡に至るまでの山道には、何と3面の郭と十条にも及ぶ堀切があります。「本丸」の中ほどには「太鼓岩」と呼ばれる大岩があり、この上に物見櫓が、またその右側に城門や角櫓があったと考えられています。

横山城跡の特徴はなんと言ってもこれらの建物に使われた柱の柱穴が数十個、また石段や貯水槽などがそれぞれ取り付けてあることです。これらの構造は戦国時代の城郭建築の研究のために重要かつ貴重なもので、昭和28年に愛媛県指定の「史跡」となりました。

西から見た太鼓岩 階段を彫ってます(分かりますか?)
貯水槽 柱の柱穴

さて、ここからが本筋です!

その横山城跡の太鼓岩には、深く削りこんで岩かげを作り出し、そこに東向きに祭ってある非常に変わった地蔵様がありました。

この地蔵様については、次のような伝説があります。
昔、小川(元北条市)の宅並城と横山城が戦いをしました。横山城主が樫木の鼻に出陣して行った時、宅並城の手勢が客の矢田にひそみ、岩かげからだまし討ちをしたそうです。その時、城主はその矢に当たって討ち死にしましたが、今わのきわに、宅並城の仕打ちに対して「武士として卑怯千万、ただではおかん」と怒ったそうな。そこで横山城では地蔵を造り、城主の冥福を祈ったのでした。
小川には多少の漁船があって領主は漁をして生活していましたが、その後、時化(しけ)に出会って船がひっくりかえったり、櫓が折れたり不幸な出来事が相次ぎ、麓と縁組しても、どうしたことかうまくいかず、離縁になるものが多かったのです。

そこで、「これは地蔵を宅並の方へ向けて立ててあるため、城主の恨みが解けないのであろう」ということになり、地蔵を東向きに変えました。それからは、そのような不幸はなくなったといいます。(竹田 覚 談)

以上のように めでたし、めでたし なのですが、実はこの地蔵様は最近まで行方不明だったのです!

野外活動センターの職員がイべントで、横山城跡から北条の麓へ向かって急な坂を下っていたところ、何か墓石のようなものが林の奥にあるのを見たというのです。後日、職員総出で地蔵様探しをし、なんと横山城跡の南斜面に横たわっている地蔵様を発見!みんなで地蔵様を担いで太鼓岩の岩かげに無事安置いたしました。

松山市と北条市が合併したのはそのすぐ後なのですが・・・・・・・・?
これを読まれた皆様と野外活動センターに幸せあれ・・・

地蔵様発見!
見てください! 急な山道を登ってます
元の岩かげに慎重に 無事安置完了しました!

最後にあなたも地蔵様を目当てに横山城跡までぶらり散策してみませんか?


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