分譲マンション建設に伴う事前の発掘調査です。調査地は、松山城のある勝山の東部に位置し、旧石手川が形成した扇状地上の標高約36mに立地します。道後温泉周辺から勝山と御幸寺山に挟まれた東西2km、南北1kmほどの範囲は道後城北遺跡群と呼ばれ、松山平野の主要な遺跡群として知られています。調査地は、この道後城北遺跡群の東側に位置し、周辺の遺跡には、南隣に持田町三丁目遺跡があります。この遺跡は、縄文時代晩期の土坑、弥生時代前期の土坑墓・壺棺墓、後期の壺棺墓や、古墳時代中・後期の竪穴住居跡など貴重な遺構・遺物が多数見つかっています。北方には道後今市遺跡があり、縄文時代から中世にかけての遺構・遺物が見つかっています。以上のことから、本調査地にも縄文時代から中世にかけての遺跡の広がりが考えられます。
事前に実施された試掘調査の結果、溝状遺構3条、性格不明遺構1基を検出し、縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器などが出土しました。これらのことから、縄文時代から古墳時代にかけての遺跡の広がりが想定されます。 |