『道後樋又遺跡3次調査』 (松山市道後樋又)で遺跡の発掘調査を行いました。( 終了しました。)
本調査は、マンション建設工事に伴う発掘調査です。調査地は、松山城の北側に位置し、松山城と高縄山地の南裾部に挟まれた一帯は、縄文時代から近世に至る多種・多様の遺跡が存在し、道後城北遺跡群と呼ばれています。遺跡群は地理的条件などにより祝谷地区、城北地区、道後地区の3地区に区分され、調査地は城北地区内となります。城北地区は、愛媛大学や松山大学などの微高地部と若草町周辺の低位部からなります。周辺の遺跡には愛媛大学構内を中心とした文京遺跡、松山北高遺跡や松山大学構内遺跡などがあり、弥生時代から古墳時代の集落に関係する貴重な遺構や遺物などが見つかっています。調査地の西約100mの道後城北RNB遺跡では、縄文時代晩期から弥生時代前期の遺物が出土しています。 事前に実施された試掘調査の結果、柱穴が確認され、弥生土器が出土しました。これらのことから、弥生時代の遺跡の広がりが想定されます。