本調査は、雨水管工事に伴う発掘調査です。調査地は、松山城のある勝山の東北部に位置し、旧石手川が形成した扇状地上の標高約30mに位置します。道後温泉周辺から勝山と御幸寺山に挟まれた東西2km、南北1km ほどの範囲は道後城北遺跡群と呼ばれ、松山平野の主要な遺跡群として知られています。その中央部にあるのが文京遺跡で愛媛大学、日本赤十字病院、東雲小学校、松山東中学校の一帯に展開する弥生時代から中世にかけての集落遺跡であり、調査地は、この文京遺跡内となっています。
文京遺跡は、愛媛大学の構内を中心として40次に及ぶ調査が行われ、弥生時代中期後葉から後期にかけての竪穴建物200棟前後が見つかり、弥生時代の大規模な集落地として全国的にも注目されている遺跡であります。
とくに隣接する松山東中学校の構内では、弥生時代前期の竪穴建物や縄文時代中期の土器片が見つかっています。また、愛媛大学構内の文京遺跡11次調査では、縄文時代後期の炉跡が見つかっているほか、文京遺跡の基盤層である黄色土から縄文土器が出土するなど、松山平野では数少ない縄文時代の遺跡が広がっていると考えられる重要な地域であります。
事前に実施された試掘調査の結果、溝、土坑、柱穴を検出し、縄文土器、弥生土器、土師器、須恵器などが出土しました。これらのことから、縄文時代から中世にかけての遺跡の広がりが想定されます。 |